先日、イケダハヤト師が吠えている(紙のライターよ、「文章の巧さ」を誇る暇があるなら「マネタイズ」を頑張りなさい)のを見て、「ライター」という仕事でわずかでもお金をいただいている身として思うところを書いてみたくなりました。
●そもそも文章が巧いってどういうこと?
著作の多くの部分を別人が書いていることを公表し、冒頭で紹介したような煽り記事を書いているくらいなので、イケダハヤト師も自分が格段文章が巧いとは思っていないのでしょう。
ただ、彼の職業は「ライター」ではなく「イケダハヤト」なので、そのために最適な文体「だけ」が書ければそれでいいのです。
一方、書くことを生業としている「ライター」で、本当に文章が巧い人はあらゆる文体を自在に使いこなします。さらに必要な単語はもらさず、でも冗長な部分はなく、どんな文体でも読みやすく仕上げます。
私もそのレベルを目指して書いているつもりですが、それには使う言葉を吟味するのはもちろん、表記(ひらがな、カタカナ、漢字のどれを使うか)、句読点の打ち方、カッコの使い方まで細かく考える必要があります。
●たかが文章、されど文章
こんな当たり前のことを改めて偉そうに書くのも恥ずかしいのですが、多くの良心的ライターは私と同じように細かい部分にまでこだわって書いているはずです。
そこまでやるのは、句読点一つあるかないかで読み手に与える印象なり情報がガラッと変わってしまうことを分かっているからです。実際、反響をある程度数値で測れるネットでは、驚くほどの違いが出ることも珍しくありません。
別に「そこまでこだわってるオレ」に酔っているわけではないのです。(ここを理解されないのは本当に辛いというか、正直イラッとします。)
●「文章が巧い」を超えるレベルの人々
ニーズに応えながらいろいろな文体を書き分けるには「自分らしさ」を押し殺す必要がありますが、その結果、私は「自分らしい文章」が書けなくなってしまいました。そういうライターさんは他にもいらっしゃるのではないでしょうか。
でも、文章が巧いなんていうレベルを超えた達人になると、あらゆる文章を操ることができ、かつ自分らしく秀逸な文体も手中にしています。そういう人々は「ライター」ではなくもはや「作家」さんです。
私はいつも揶揄半分、本気半分で「イケダハヤトが師」といったりしていますが、文章の達人として心の底から尊敬している作家さんは小田嶋隆氏と高橋秀実氏の二人です。
本当に何を書いても「読ませる」ので、ため息しか出ません。私は所詮自分の名前では勝負できない小物ライターだと思い知らされます。
なーんていいながら、実は著作は一つも持っていないので、Kindle版の安売りが出たらぜひ買ってみたいと思っています。
みなさんもよろしければ一度読んでみてくださいね。
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中野 志穂(ねこりん)
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